最近のまとめ。

どたばたとした最近のことをまとめておく。



1月1日
大きな地震があった。幸い私がいたところは震度3程度だった。お正月だったので実家に帰っていた。昼には仕事の父親を抜いてみんなで初詣に行った。母親の実家に寄り挨拶もしてきた。夕ご飯にお節を食べ、家族で麻雀をした。とても平和な夜だった。


1月2日
長男が亡くなった。母親と長男と私の3人で昼食を食べている時だった。母親が長男を抱え、私が救急車を呼び父親と次男へ連絡をした。全員が病院へ着いて先生から例の言葉をきいた。初めて父親が泣いたのを見た。母親も、次男も、長男に抱きつくように泣いていた。私も泣いた。
私と次男は先に家に帰った。父親と母親が長男を連れて帰ってきたので、いつも長男が使っていた布団を和室に引いて寝かせた。眠っているだけのようだった。死因は肺高血圧だった。病院の先生が「苦しむことはなかったでしょう」と言ってくれたそうだ。
葬儀屋に連絡を入れ葬儀の手配をし、その後は遺影の写真を選んだ。離れて住んでいる次男に会うために少し良い電車に乗って嬉しそうにピースサインをしている写真を選んだ。私が誕生日にあげたTシャツを着ていた。


1月3日
長男が通所していた施設の施設長さんと理事長さんが長男の顔を見に来てくれた。施設長さんは長男と8年近くの付き合いだったこともあってか、家に入る前から崩れるように泣いていた。近くに住んでいる母親の親族も来た。元旦に顔を合わせたばかりだったので信じられないと言っていた。


1月4日
昼過ぎに納棺をした。まだ寝ているだけに見えていたので棺に入れるとなったところで長男の死を実感しありえないほど泣いてしまった。苦しかった。
通夜の後、両親は葬儀場に泊まり、私と次男は自宅へ帰った。ふたりともなかなか眠れず3時頃まで話し込んでいた。


1月5日
告別式、出棺、火葬。終わって自宅へ帰った。滞りなく全てのことが片付いた。礼服を脱いで一息ついて長男の部屋を覗くと次男がいた。考えることは同じだった。


1月8〜12日
仕事は休みをもらって実家で過ごした。


1月15日
仕事に戻った。


1月30日
両親と良いお寿司を食べに行った。年明け前から予定していたので、長男のことがあったからと言ってやめるのは違うだろうと、行くことにした。とても美味しかった。


2月4日
フォロワーとモーニングに行った


2月19日
長男の四十九日の法要をした。


2月25日
会社の人とボートレスに行った。最終レースを残し1000円勝ちだったので、2000円突っ込んだら負けた。1000円で楽しめたので良し。


3月上旬
アニメにハマってめちゃくちゃ見た。


3月9日
フォロワーとコストコに行った。


3月下旬
編み物にハマってめちゃくちゃ編んだ。


4月上旬
転職活動を始めた。


4月16日
今日

私は優しくない。

私は優しくない。誰かに「優しいね」と言われるたび、どんな顔をしていいのか分からなくなって頭の中で「ごめんなさい」と繰り返す。



誰かにとっての私の優しさは、私にとってはただの承認欲求だ。優しくすることで誰かに求められて良い人だと思われていたい「承認」されていたい。確かに行動は優しいとされる行動なのかもしれないけれど、その行動のもととなるのは私の優しさではなく私の承認欲求だ。

騙していてごめんなさい。私は優しくないんです。全て自分のためにしていることなんです。だからあなたが私を優しいと認識するたび、私はあなたを騙していることになるんです。ごめんなさい。



「優しいね」と言わないで。


私は優しくないから。

2021/12/24

「淡々と喋るから内心どう思ってるのか掴めない」と言われた。ひどく悲しかった。



私がそういう喋り方になった理由は分かっている。元々つらつらと言葉を並べることが得意だったから。そして、突然ヒステリックになって感情のまま喋る母親が嫌いだったから。その気が自分にもあると分かっていたからどうにかそうならないようにと意識していたから。

言葉に感情を乗せないように、感情を言葉の雪崩でかき消すように、理路整然と言葉を並べて話す話し方が身についた。感情はうまく隠せるようになってきたと思う。制御ができず溢れてしまうのなら、なんとか覆い隠してしまえば良いと思っていた。



まさか、そんな言葉を職場の人に言われるなんて思わなかったよ。一つの契約の責任の所在が不明瞭で、仕事なら最後まで責任を持つべきじゃないかと言ったら。責任感は強くない方が良いね。

おわり。

2021/08/28

ずっと言葉を残してきたここも、とうとう3年近くになるらしい。3年?数字にするとすぐな気がするけれど、本当はもっと長い気がする。

 

 

 

インターネットがあって良かった。人と簡単に繋がれる世界で良かった。すぐに人を手放す私は、すぐに人と繋がることのできるこの世界が好きだ。

 

選んで、手にして、大切にして、飽きたら捨てて。それでも良いんじゃないかって思うようになった。無理に大切にし続ける必要、ある?無くない?どう思う?

 

最低だ。そんなの。多分。分からないけど。

 

 

 

人と関わるということは、多少なりともその相手の人生に介入するということで、私はそんなこともうしたくないと時々思う。簡単に人と繋がれる世界で良かったなんて嘘だよ。厄介だ。

 

 

 

誰かと仲が良いとかそういうの面倒くさいけど、この人と近い温度感でいられるのは嬉しいなと思うことが時々ある。

 

 

 

おわり。分からん。助けて。

そんなこと言われたら今までの私はどうなるんだ。

「きっと苦労した経験が無いんだろうね」

 

嫌味な人間に嫌味のように言われるだけじゃなく、度々言われることがある。「結局、強いよね」とか。そんな事言われたら、あの日やあの日やあの日の私は、一体どうなってしまうんだ。

 

辛かったことのあれやこれやを並べようとしたけれど、不幸自慢みたいでダサかったのでやめた。だけど毎日本当に苦しくて、死んでしまおうともしたけれどできなくて、毎日必死の思いで生きてきたのに、それでも私は苦労せずのうのうと生きてきたって言うんだろうか。

 

確かに私はちょっと頭が回るから、生活がままならないことは無かったし、めちゃくちゃ努力しなくても勉強はできたし、運動はそもそもできないからやっていなくてしばきあげられるみたいなことも経験してない。そうやって、苦労はうまく避けてきた。それを「苦労した経験が無い」と言われたって、じゃあ好んで試練を選ぶべきだったということか、と。誰だって苦しい事はしたくないはずだ。避けられる苦労なら避けるだろう。私は苦労を選ぶべきだったのか。

 

多分人の言葉を聞きすぎるのは良くない。他人の評価が自分の評価になってしまうのは、かなりまずいことだと思っている。

 

「仕事辞めたいな」と思ったり言ったりする度に、「辞めたい辞めたいって言う人間ほど辞めない」という言葉が頭の後ろから飛んできて私を殴る。「そうだね、だから私は辞めたいと言って半年辞めてないんだもんね」と殴ってきたそいつに悲しく笑って慰める。

 

「自分のことが大嫌いだ」と思う度に「でも結局自分が一番可愛くて一番大切でしょう」と殴られる。確かにそうかもしれないと思って「自分のこと本当は好き」と言えば「そう言う割には自分のことあんまり好きじゃなさそうだよね」と言われ、そんなことはない大好きだと憤慨することだってある。

 

1言えば100言い返してくる自分を、頭が回るからたくさんの理由で自分を殴って慰めてを繰り返していることなんて誰が分かるか。察しろとでも言うのか。そんな人間になるのなら、私は1言えば100言い返してくる自分と自分の殴り合いを、全部言葉にして相手に聞かせる。だから察しろとか分かってくれなんて言わないけれど、そんな諦めたみたいな目だけは向けないで欲しい。この「〜しないで欲しい」も、結局のところ「察して」と同じなのだろうけれど。

 

ここまで書いたけれど、私がこれを読んで思うことは「自分で自分を認められたなら、全部どうでもいいことだろうよ」です。おわり。

苦手なこと。

「苦手なこと」が多い。

 

・人の話し声

・テレビ

・怒られること

・他の人が怒られているのを見ること

・ドラマの手術シーンや刑事ドラマの緊迫感

・人がたくさんいるところ

・なくし物を探すこと

・雰囲気の良いお店を見つけること

・ハイネックやタートルネックの服

・人に好意を向けられること

・部屋の掃除

・毎日お風呂に入ること

・人と仲良くなること

・外出すること

・書類を提出すること

……

 

昔、ある人に「あなたは人より敏感なんだろうね」と言われて「ああ、日光とか敏感で肌荒れしちゃうんだよね。あと服のタグとか」って言ったけれど、多分そういうことじゃなかった。

 

とても生きにくいな、と思う。「繊細さん」なんて言葉が世に出回るようになって、それにあやかって私も私もと手を挙げる世間が憎い。繊細や敏感であることが良い方に転べば、流行や芸術に敏感で知的好奇心に溢れた人になれるのかもしれないけれど、私にとっては首を絞める材料にしかなっていない。これらを上手に言い訳に仕立て上げられる程の脳も無い。

 

なるべく自分にストレスを与える物を生活から排除するようにしている。見たくないフォロワーをミュートしたりリムーブしたりブロックしたり、はたまたアカウントを移行するみたいに。どんどん生活が殺風景になっていく。ストレスは確かに減ったけれど、これで良いのかと思う瞬間が多くある。多分これで良い。

 

生きるのが苦手だし下手。舗装された道が真横にあるのに岩だらけの道を何度も転びながら歩く。電車もタクシーも乗り方を知っているのに使わないで徒歩で行こうとする。

 

きっと馬鹿だから。そんな馬鹿で生きるのが下手な自分が好きだから。好きじゃないけど。

 

 

誰も私に関わらないでくれたら、私は私を好きでいられるから、誰も私に関わらないでください。

2020/09/15

思えば私の恋愛は小学生の時からおかしくて、小学4年生の時は好きな人と一緒に好きな人のことを好きな女の子の悪口を言うことが幸せで、小学5年生の時は好きな人が女の子に告白しているところに偶然鉢合わせてしまい「絶対誰にも言うなよ」と詰め寄られたことにときめき、小学6年生の時は好きな人がやけに話しかけてくれるなと思っていたら私の友人が好きで告白の仲介をしたりしていた。

 

中学生になってからは男の人が怖くて何もなかったけれど、高校1年生の時は勇気を出してメールアドレスを聞いて3日程メールをしていた人が廊下で「あいつからメール来るのマジうぜえ」と女の子にケラケラ笑いながら話しているのを聞いてその日から一切送らなくなった。

 

高校3年生の時はインターネットで仲良くなった一つ年上の男の人を好きになったけれど「ネット恋愛はないかなー」と言っていたのを聞き諦めていたら、私と仲の良かった年下の女の子がその人と付き合っていた。

 

大学2年生の9月に斎藤さんで知り合った誠くんと1ヶ月くらい毎日連絡をとっていたけれど、なぜか突然全部がムリになって連絡先を消した。その3日後にはとても後悔してさらに1ヶ月後には夢にまで出てきた。

 

それを忘れられるようにと毎日斎藤さんをして11月末に出会った人が、私の人生で一番、本当に真剣に心の底から千切れるほど苦しく好きになった人。

 

その後もレイくんとか、名前を忘れた人とか、何人かいたけれど、1ヶ月が限界だった。

 

社会人になって1ヶ月くらいで同期の男の人に複数回ご飯に誘われて行ったりしたけれどモラハラがすごくてやんわり断った。

 

そんな中、入社1週間で1万円を貸した同期の男の子を好きになったけれど、何も言わずひっそりと気持ちをあたためるだけで終わったので誰も知らなかったと思う。

 

その人をやんわりと好きなまま、9月に同期のまた別の人と2ヶ月だけ付き合った。全然好きじゃなかった。

 

社会人1年目の3月頃にひっそり会社の先輩とセフレになった。お金を渡す代わりに泊まりに来てもらったりしていた。これは案外長くて1年くらい続いていた。お金は半年くらいでいらないと言われて、それからだんだん声を掛けづらくなって疎遠になっていった。

 

 

と、まあ、はっきり思い出せるのはこのくらい。まともに好きになったり好かれたり、普通の恋愛が、一度でいいからしてみたいけど、ステータスとしてしてみたいだけで、実際のところ面倒くさそうだなって思う。

 

思い出すだけで苦しくて、絶対忘れるなんてことができない恋愛を知っているから、私がいなくなったら死んでしまうんじゃないかってくらいの恋愛で好きになってもらわないと、何も揺れなくなっている。

 

さすがにそれは嘘かも。

 

でも「その程度じゃん」と思って軽蔑はするね。