2020/08/29

最近の話をしようと思うとどうしても言葉が荒くなってしまうから、また、昔話をしようと思う。

 

 

「人は周りの5人の平均になる」らしい。それを私に教えてくれた人の“周りの5人”に私は入っていなかった。3人決まっていて、あと2人分の枠は空いているのにそこには入らないと言われた。

 

その周りの5人の選び方を、自分に影響を与えてくれる人とするか、身近な人とするか、軸を5本作ってそれの一番の人を並べるか、それによって変わってくるだろうけれど、それでも自分が入れないことが悔しかった。悲しかったより、悔しかった。一番近くにいると思っていたのに。

 

全く別の話をしている時に、「あなたの人生、全然楽しくなさそう」とも言われ、それも悔しかった。今でこそ「そうだったな」と納得できるけれど、その時はひたすら悔しかった。

 

どうにかして「あなたの人生も良いね」と言われ、その人の“周りの5人”のうちのひとりになりたかった。なりたくて、頑張った。頑張ってきた。

 

 

周りの5人は常に変化する。流動的に入れ替わる。今の私にとっての5人が誰なのかは分からないけれど、人生を平均した時の5人のうちの一人に、その人は入ると思う。きっかけはどうあれ、私の人生に影響を与えたことに違いはない。

 

そう伝えると「あなたの人生に影響を与えてしまって申し訳ない」と言うだろうけれど、私はあなたと関われて良かったよ、と思う。

 

 

と言う、昔話。

 

 

 

 

思い出は美化されるから良いのだろう。鮮明に覚えていては何度も過去に押し潰されてしまう。時々思い出しては慈しんで、だけどそれに囚われない強さも持って、いつまでも大切に抱きしめて。

 

私はどんどん私が好きになっていっているよ。

隠喩

気持ちが一気に冷えてしまうことが度々ある。

 

 

28度に設定したはずのエアコンが、一瞬だけ22度くらいの風を送った。一瞬だったけれど、私は確実に22度の風を感じて、戸惑いながらリモコンを見るものの設定温度は28度。気のせいかもしれないと思ったけれど、こんな現象が毎日ではなくとも幾度と起これば、さすがにおかしいと思うしストレスも溜まっていく。

 

エアコンを買い換えようかと思うけれど、夏真っ盛り。エアコンの無い生活なんて考えられない。それならとそのまま我慢して使っていると秋が来てしばらく使わなくなる。そして冬が来てまた使い始めると、同じように、暖房をつけていたはずが一瞬冷房のような風を送ってくるのだ。

 

 

とあるフォロワーが「別れる原因の多くは小さな違和感やズレの積み重ねだ。いずれその小さな違和感やズレのせいで別れるのであれば、それに気付いた時に別れても良い。違いは早いか遅いかだけで、遅いより早い方がいい」と、そんなことを言っていた。確かに、と思った。

 

私の母はテーブルマナーにとことん厳しかった。箸の持ち方が違えば、箸を取り上げられ、手で食べろと言われた。テレビを見ながら食べれば、みんなで食べているテーブルから自分の分だけをテレビの目の前に置かれ、そんなに好きならテレビと一緒に食べろと言われた。肘をついていれば、そこを叩かれ、膝カックンのように倒れ食事をひっくり返した。利き手ではない手でお茶碗を持ったりお皿に手を添えていなければ、要らない腕なら切り落とすかと言われ包丁を持って来られた。

 

今のは少し余談だったけれど、この通りテーブルマナーに厳しく言われた私は相手のテーブルマナーも気になるようになった。食事という人との交流で避けては通れない、結婚をするのであれば毎日目にする行為、毎回のようにストレスを溜めていくのであれば、それを交際の基準にしてしまっても仕方ないと思っている。

 

つまり、何が言いたいかと言うと、毎日目にする行為に毎回ストレスを溜めていくくらいなら、一度目で見切りをつけても良いと思っている。だからフォロワーの意見もよく分かる、ということ。

 

 

エアコンの話に戻るけれど、一度目の突然の冷風で気付いて交換してしまえばよかったのに、私はそのエアコンの冷風を自分の感じ間違いや一瞬だからということを理由に、未だに手元に置いている。そして今日も小さなストレスを溜めている。

 

馬鹿みたいだね。

 

 

ちなみに、私の家のエアコンは正常。

昨夜から感情が溢れて私の手では抱えきれなくなっている。

 

寂しいときに寂しいって言うことを許されたかったし、泣きたい時に泣くことを許されたかったし、欲しいものを欲しいって言うことを許されたかったし、ずっといろいろ許されたかった。

 

弟に障害があって大変だから「寂しい」と言って親を困らせたくなかった。「泣いても何も解決しない」と泣くことを否定され、また泣いている事実に親を怒らせることが嫌で、泣かないようになった。いつからか自分がとても自己中心的でわがままだと気付き、なるべく自分の要求を言わないようにした。

 

いろいろな理由があって、いろいろなことができなくなった。できるようにするには、今まで許されないと思っていたそれらを許していくことをしなければならない。

 

自分で自分を許すことに近い作業。私は苦手だ。

 

 

『もっと自分を認めてあげな』

 

 

言いながら髪を撫でられ、寝ようとしていた私は顔を伏せたまま少しだけ泣いた時のことを、私は一生忘れない。

眠れない時の正解。

午前5時。何でこんな時間に起きているのかと聞かれたら「眠れないから」が最適解だ。

 

 

考え事をしたくなくて、蒸し鶏を作って同時に麦茶を沸かした。蒸し鶏は出来上がると割いてタッパーに入れておく。常備菜の手前、下ごしらえだけしたもの。

玉子と一緒にスクランブルエッグにしても良いし、コチュジャンやニンニクと混ぜてユッケ風にもできる。使い勝手は良い。おすすめはチンゲンサイと混ぜてポン酢をかけて食べる方法。

 

そういう話じゃなくて。蒸し鶏を作って麦茶を沸かしたら寝ようと思ったのに眠れず、またベッドを出て次は冷蔵庫の中身を整理した。日にちの経った作り置きのおかずや、封を開けてしばらくつかっていないドレッシングや調味料を捨てた。作り置きおかずの入っていたタッパーは洗った。

 

で、その後眠れたのかと言われるとそうではなく、やっぱり眠れない私はまたベッドを出た。中身の少なくなった冷蔵庫の、天板を外して洗った。アルコール除菌もした。冷蔵庫の内側も拭いた。冷蔵庫の扉の内側についている牛乳を入れたりする箱も外して洗ってアルコール除菌をした。最後にはシンクも拭いて除菌した。

 

ここまでしたら流石に眠気が来ると思ったのに、まだ眠れないでいる。あ、今ココ。

 

 

今週は忙しかった。ずっと頭をフル回転させて仕事をしていた。上司が定時後に談笑していて、私の業務の話になると声を潜めるのが聞こえてしまったから、私の愚痴を言いたいのならと残業をする予定だったけれど切り上げて帰った日もあった。

 

他人の会話は耳を潜めて聞いているのではなく、聞こえてしまう。前にも書いたことがあるのだけれど、周囲の機嫌や雰囲気に敏感にならざるを得ない状況で暮してきたから、癖になっている。誰がどんな声のトーンでどんな気持ちでどんな話をしているのか、それに対して自分はどうすることが正解か。

 

「あなたは周囲のことに何も気付かない、関心が無い」と言われたことが今でもこびりついている。気付かない、関心が無いのではない。気付いても、関心があっても、どう行動することが正解か分からないから、黙っていただけ。だけど本当は気付いてないし関心も無かったのかもしれない。他人からそう見えているのならそうなのかもしれない。

 

 

ここまで書いても眠れる気がしない。明日、もとい今日は土曜日だから、まあいいかと流すことにして、ここでおわり。

仕事の昼休み。いつもは寝ているけれど、今日は何となくここに書きたくなった。

 

 

昨日、Twitterのアカウントを消した。特に意味は無くて、ただ、何となく。何となくだと思っているけれど、実際違うかもしれない。

30日以内なら元に戻せるから、多分戻すと思うけれど、そろそろインターネットに生きるのを辞めたいとも思うから、どうするのだろう。

 

 

どうしてもどこかに書きたいことがあるのだけれど、どうしてもどこにも書けないことがある。だからここに書く、ということもできず。

 

事実を伏せて気持ちだけを書くとしたら、とても気持ちが凪いでいる。うるさい。またこんなになることがあるなんて、思っていなかった。凪いでいることが嬉しくもある。だけどやっぱり凪ぐということは何が起こるか分からない不安も煽る。

 

嬉しい。嬉しいよ。とても嬉しい。私はこの事実相手にしか気持ちを動かすことができないのかもしれない。そんな盲目にまた陥りそうになりながら、凪いでいる気持ちを見つめる。凪が落ち着いたら、また空虚になりそうだ。

 

 

つまり、私は変わっていない。昔より元気だけどね。

ツイートするほどでもないあれこれ。

「何をそんなに怖がっているの」

 

ドラマや漫画に出てきそうなこの言葉を、私はもらったことがある。誰だったか忘れたけれど。また、そういう、過去の誰かの言葉を思い出してしまった今の私が、変わることのできない私を諫める、そんな日記。

 

 

私は性格診断のようなものが好きで、というのも自分の心を見透かされることが好きだからなんだけど、それを今日いくつかやった。そしてそのどれにも「鉄壁の心」「心の壁が分厚い」と書かれていて、なんだか少し安心した。私が人と距離をつくることの言い訳になる気がした。安易に踏み込もうとする人たちに私の心に入ることは無理だから諦めてくれと言える気がした。

 

母親に言われた「あなたは賢いから、私にはあなたの考えていることが分からない」という言葉が、呪いのように私を縛っている。言われるもっと前から、人と一定の距離を置いていた。だけど、誰か自分の中に踏み込んできてくれないかと、少しだけ期待していた。その期待していた自分を、母親からの呪いにかかった私がしっかり殺そうとしてくれている。そしてその更に奥にいる私がそれを見て安心していた。

 

言うなれば、お城の中で何かに怖がっている私がいて、門番が私の心を溶かしてくれる人を選別して入場を許可しようとしていたところに、誰も中に入れるな怖がっている私をこれ以上怖がらせるなと、少しでも期待したら期待通りの結果にならなかった時に傷つくことを恐れている私が、門番をも殺して入場しようとする人も全て殺そうとしてくれている。そんな状況。日本語が下手で情けない。

 

 

「何をそんなに怖がっているの」分かるわけがない。私だって、分厚い壁の中にいる私に会ったことなどないのだから。

 

 

何重にもした鉄の壁を頑張って一枚壊したところで、永遠にそんなのが続くから、みんな途中で諦める。そう書くと、周囲が諦めたから私は誰にも自分を見せられていないみたいだけど、実際のところ、一枚でも壊した人を私が襲撃して二度と近付けないようにしているのだろう。

 

だけど、知っていて欲しい。これは今まで私が傷つけたたくさんの人に対する懺悔であり、一生をかけても償えない罪。

 

「知ろうとしてくれていたのに、突き離してごめんなさい。傷付けてごめんなさい。言い訳をすると、怖かった。だけどいつか、知ろうとしてくれていることを怖いと感じない誰かが現れるんじゃないかと思っていた。だからあなたが近づくことをギリギリのところまで許して試していた。結果、ダメで突き離したのだけれど。突き離す直前までは、あなたに踏み込んできてほしい、知って欲しいと思っていたよ。あなたに踏み込まれる覚悟を決めようとしていたよ。それだけは知っていてほしい」

 

知ろうとしてくれたあなたを突き離して傷付けてごめんなさい。

タイムトラベラー

「今行けるならどこに行きたい?そして、会えるなら誰に会いたい?」

「今は社会情勢がアレだから海外旅行は難しいしなあ。かと言って国内ならって言われても、どこがあるだろう。会えるならちょっと遠くに住んでるあの人かなあ」

 

どこを、誰を、思い浮かべるのだろう。私が真っ先に浮かんだのは、性懲りもなく「あの時に戻って、あの場所に行って、あの人に会いたい」だった。

 

 

真っ先に浮かんだのに言葉にするのは躊躇った。言葉にするより先に「私はまた過去に生きている」と気付いたから。そしてもう一度考えたのだけれど、会いたいのはあの時傷付けたあの人や、あの時突き離したあの人、あの時の、あの人。結局過去の人しか浮かばなかった。

こうして今を大切にできないから、今の人が過去の人になった時に、会いたいと思うのだろう。いつまでこんなことを続けるのかな。

 

 

私が会いたいのはみんな過去のあの人たちなのだけれど、一人だけ、少し違う。過去の人であることは同じなのだけれど、一人だけ、その真っ先に浮かんだあの人だけは、過去に戻って、あの場所で、会いたい。

他の人たちは、過去に戻って会う必要は無くて、今でもいつかの未来で会うでもいい。場所も正直どこだって、何なら仕事の帰り道に駅でばったりとかでもいい。とにかく会って謝って、その後元どおり仲良くなりたいかどうかはどうでも良くて。会って謝って許してくれなくていい。そこで完結。

だけど、あの人だけは、今の私や未来の私で会いたくない。会いたくないと言うより、今や未来ではあまり意味を為さないと思う。そして、あの場所で、会いたい。会いたい理由も謝りたいからではない。単純に、純粋に、あの時のままあの場所で、会いたいだけ。

 

 

私はあの時にあの人も私も閉じ込めてきた。タイムカプセルみたいにふたりを止めてきた。今のふたりが会ってもそのタイムカプセルは見つからないし、見つかっても開かない。

私が未来に進むには、あの時に戻って、あの場所で、あの人に会う。会ったことがスイッチになって、タイムカプセルが開いて、ようやくそこから私は進む。あの時から。

 

 

私がよく言うどこかに行きたいや誰かに会いたいは、嘘ではないけれど、お金持ちになりたいに似ている。自分からどこかへ行ったり会うんじゃなくて、誰かが決めたアタリがたまたま当たってお金持ちになれてしまうみたいなもの。

とても嬉しいけれど、それを本当に望んでいるのかと言われると、そんなことはなくて、多分ただの夢かただの言葉なだけで気持ちは無い。

なんてこんなことを言っていたら、きっと誰とも会わなくなる。まあ、いいけど。

 

 

「今どこに行きたい?」かあ。「誰に会いたい?」かあ。今をあまり考えていないから難しいや。とりあえず、冷蔵庫の中身が空っぽだからスーパーへ行きたい。お仕事疲れたから誰にも会いたくないなあ。